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放送日時 2017-07-15

2017-7-15OA 鷹山の復興に向けて ちおん舎 舎主 西村吉右衛門さん

番組名:きょうと・人・まち・であいもん

投稿日時 2017-07-15 15:30

出演者情報

ちおん舎 西村吉右衛門さん
聞き手 内藤郁子

会員紹介 
一級建築士事務所 優家 河合美由紀さん

音声

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鷹山の復興に向けて  ちおん舎 舎主 西村吉右衛門さん

 ちおん舎は、三条衣棚上ル突抜町にありますが、もともと会社があったのが三条通の衣棚町でした。そこにあった鷹山は歴史の古い山で、応仁の乱以前から「鷹遣山」という名前で登場しています。ところが、1826年(文政9年)に巡行していた際に大風雨に遭って破損したと伝えられています。鷹山はだんだんと豪華に変化をしていて、上が大きくなりすぎたためにこけたんだろうと推察されます。たぶんそこでバラバラになったんだと思いますが、いろいろな物は残されていました。しかしそれも、蛤御門の変で京都中が火事になり、その時に殆どが焼失してしまいました。何とかご神体人形の顔と手足などが残り、毎年それを飾りつけて居祭をしています。
 先程も言いましたように、私どもの会社は、もともと衣棚町で衣を扱っていた千切屋一門で、本家与三右衛門の法衣商の後を継いで分家し、1555年からずっとそこに居りました。その270年の間、鷹山のお守りをしていました。私自身色々なことがあり、先祖の徳に助けられたと感じ、何とか恩をお返しするためにも鷹山を復活させたい、と考えるようになりました。一人では何もできませんが、数年前に今の理事長である山田純司さんと、鷹山の歴史を研究されていた自転車屋さんの八田昭章さんと、三人が揃ったことで、活動を始めることができました。最初に「鷹山の歴史と未来を語る会」というのを始めました。
 鷹山は三という数字に縁があります。鷹遣と犬遣と樽負の3人の人形、鷹と雉と犬の3匹の動物、そして三条通。八田さんが事情あって東京へ行ってしまわれたのですが、その代わりに西村健吾さんという方かお囃子をリードしていて、新しい3人トリオが出来ています。
 現在お囃子のメンバーは45名で、たぶん京都で一番練習をしている山ではないかと思います。練習するにしたがってすごく上手になってきています。先日も、八坂神社でお囃子を奉納し、その後にバーベキューをして懇親を諮りました。いろんな人の繋がりが少しずつひろがってきて、近くのマンションや少し離れたところからも参加しています。こういう繋がりが出来ていくことも素晴らしいことだと思います。
 今年も例年とおなじ場所で居祭をします。マンガミュージアムや芸術センターの校庭や、山音さんの会社の前で演奏をします。再建のためには資金も必要なので、粽や手ぬぐいなども販売します。是非お立ち寄りください。そして復興にご支援をよろしくお願いいたします。

後祭で、お囃子を聴き、粽などを購入しました。赤い首巻をした犬のおみくじは大吉でした。これを売っていた可愛らしい女の子が、犬に名前が付いていると教えてくれました。「さんちゃん」だそうです。なるほど!  (内藤郁子)

【後半会員紹介のコーナー】

一級建築士事務所 優家(ユウカ) 河合美由紀さん

事務所名を決める時、いろいろと考えあぐねる中で、人に優しい家づくり、という言葉が頭にうかびました。人に優しい家というと、健康住宅やバリアフリー住宅を想像しがちですが、私は、家の中で一番長い時間を過ごされる女性が、そこで居心地よく住みよいと思えることが大事だと考えています。
今、女性が強くなったといわれますが、こと家のことになると、ご主人の意向が優先されるように感じますので、女性(奥さま)がどのような住まい方をしたいのかを、ご自身で気づき、納得していただけるように、お話しを重ねたり、具体的なイメージが湧くよう提案をしています。なにげない雑談の中から、その人が意識されていない思いを探り出せるようなこともあり、そういう時間を大切にしています。特に女性の多くは、建物を建てる上での技術的なことをご存知ないこともあり、なんとなく思ってはいても、そのことを具体的に言葉に表す術をもたれていなかったり、生活の中にある細々した事柄を設計者に伝えることが良いのかどうか迷われることがあります。そのような思いを汲み取って、設計そして施工に反映していければと考えています。
 私の母は難病(後縦靱帯骨化症)を発症し、手術を受けました。医師から転倒だけは避けるよう忠告されていたのですが、田舎の段差だらけの家の中では何度か転んでしまい、その度に身体機能が衰え、寝たきりになってしまいました。父は昔ながらの男性で、病人のために家を改修するといった発想を持ち合わせておらず、一方で母は病気をして家族に迷惑をかけているという負い目から自分の気持ちを伝えられなかったと思います。私にとって父は怖い人でしたので、その時の私の思いを伝えることができなかったのを後悔しています。今の仕事をする中では、その時の私が出来なかったことを誰かのために出来ればと思っています。
 好奇心が旺盛で、納得するまで自分の目で確認したいという気持ちがあります。例えば屋根の工事の時は、マイ地下足袋を履いて上がっていって、屋根の上で職人さんに色んなことを教えてもらっています。これまで仕事を続けている間には、気心の知れた職人さんがお年を召したりご病気になって退職されたりと、一緒に仕事をする人も変わってきています。その都度つどで実際にモノをつくる人に自分の気持ちを伝え、また建主との間に立って、両者のバランスをとるのが難しいと感じているところです。