ここから本文です。

放送日時 2018-09-12

2018-9-28OA 「石塀小路の町家はなぜ高台に!?」

番組名:KYOTO space fountain

投稿日時 2018-09-28 13:15

出演者情報

パーソナリティ) ローバー都市建築事務所
             野村正樹

パートナー)  橋本沙抽里

音声

RSS取得

MP3ファイルの再生/ダウンロード

祇園の奥座敷として、また最近は観光スポットとしても注目を集めている京都東山「石塀小路」。

美しい石塀が立ち並ぶこの路地空間は、国の重要伝統的建造物保存地区にも指定され、

その保存活用が図られている。

石畳の街路に沿って整然と積まれた石塀は大別して、方形の石材を積み上げて築造された

下半分の”石垣”部分と、自然石を使用して築造された上半分の”石塀”部分とに分けられている。

この石垣部分で形成された下半分の高台の上に風情ある町家が建設され、急な階段で玄関に

アプローチする計画となっている。

なぜ、わざわざ使いにくい高台の上に町家を建造するのか?

測量助手であったアメリカ人研修生は素朴な疑問を私に投げかけた。

石塀小路の歴史は以外に新しく、現在のようなかたちに整備されたのは、明治末期から大正時代

にかけてのことである。元々このあたり一帯は、圓徳院の庭園であったが、それを、明治時代になって

当時製茶販売で富をなした上村恒次郎が譲り受け、賃貸用の分譲宅地として整備を進めたのが、

現在の石塀小路の始まりである。

ではどうして、一段高い場所に宅地を計画したのであろうか。

現在は暗渠(あんきょ)となっている東山から流れる菊渓(きくたに)川。この菊渓川は暴れ川として有名で

あり、雨季になると鉄砲水を周辺に見舞っていた。現在残る下河原の地名はその名残である。

上村は元々あった土地の傾斜を利用しながら、石垣を積み洪水への備えとしたのである。

目線に近い高さまで積み上げられた石塀は、適度なプライバシーを保ちながら美しい景観を形成している。

防災対策と風情ある町並みを両立させた先人たちの智恵を私たちも継承していきたいものである