蔵に残されたものを次世代に繋げる
平井家15代目 平井敏治さん
私の家は、三条通りの柳馬場西の桝屋町に1664年から住み始めたと伝えられており、私が15代目となります。もともとは呉服商で、6代目から薬屋を始めました。いわゆる家伝薬という家に伝わる秘伝の製法で薬を作っていました。「養命膏」という傷薬で、蛤の貝の内側にどろっと固まったものが入っていて、それをナイフのようなもので取って炙って柔らかくして、和紙やネルなどの生地に伸ばし、傷口に貼っておくというもので、私も小さいころ、とげが刺さった時に一晩貼っておくと、次の日めくると一緒に取れたという記憶があります。
この薬は日本の登録商標の第一号を取っています。明治の初めの頃、偽物が出回ったらしく、京都の薬屋の組合がこぞって願い出たようで、1号から11号くらいまで全部薬屋さんでした。その当時の看板が残っているのですが、まな板の上で指を切り落としてしまったという絵で、それでも治るという嘘に決まってますが、ユーモラスなものです。
12代目さんは、謡いとお茶をたしなんでおられて、堂本印象さんが習いに通っておられたそうで、家には印象の手紙やはがきがたくさん残っています。彼は、三条堺町を下がったあたりに住んでいたようで、私の祖父にあたる13代目と同い年だったこともあって、交友があったようです。
三条で住んでいたところは1985年に売ってしまって、西京区に移り住みました。新しい家の納戸には前の家の蔵にあったものをみんな運び込んであり、私はその整理をしています。つい最近も、資料館に預けたと思っていた古文書が、ひと箱、約400点ほどごっそり出てきました。私の代で捨てるわけにはいきませんし、家に伝わってきたものは、そこそこきれいにして残したいと考えています。それが私の使命だろうと思っています。表装も習っていて自分で直したりもしていますが、古文書を読む勉強も始めなければなりませんね。まだ、20年ほどかかりそうですし、これからはお酒も控えて健康に気を付けなければと思っています。
三条から離れてしまいましたが、罪滅ぼしの気持ちもあって、三条の協議会には機会があれば参加しています。これからもお役に当てることがあればと思っています。
350年前から三条に住んでおられたお家の蔵にはどんなものが残っていたのか、ワクワクしますね。(内藤郁子)