祇園の奥座敷として粋人に愛される京都東山「石塀小路」。
下川原通りとねねの道に挟まれたこの「石塀小路」は、国の重要伝統的建造物群保存地区にも
指定さ れている。路地の両側には料亭や旅館の石塀が建ち並び、ランタンの街灯や、路地に
敷き詰められた石畳が落ち着いた風情に彩りを添える。現在の街並みは明治末期から大正時代
にかけて形成され、石畳の一部には昭和50年代に廃止された京都市電の敷石も移設されている。
そんな石塀小路の南側入り口に位置する町家の内部空間に「菊水の井」が今もな お存在する。
約400年前の慶長11年(1606)秋、豊臣秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が、
伏見桃山城より高台寺に移り住んだ際、この井戸より清水を汲み上げ茶の湯に用いたといわれている。
当時は菊の花が咲くよ うに名水が湧き出たといわれ、以後「菊水の井」と呼ばれている。
高台寺内にある茶室、 傘亭(重要文化財)は当時伏見城から移築したものとさ れ、千利休の作、
秀吉好みの茶室と伝えられている。全体が唐傘のような形をしていることから、傘亭の名があり、
茅葺き屋根の素朴な建物である。
市内には、もう一つ「菊水の井」が中京区室町四条上る東側にあった。
茶人武野 紹鴎(たけのじょうおう)の邸宅にあった茶亭大黒庵の井戸が「菊水井」であり、残念ながら
現存はしていないが、現在の祇園祭菊水鉾の名前の由来ともなっている。
東山石塀小路の「菊水の井」は現在も水をたたえている。
その名水は料亭「菊乃井」にも受け継がれ、桃山時代の栄華を現在に伝えている。
湧き出す水に、風雅風流を感じ、ロマンに思いを馳せるのも京都再発見の楽しみである。