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放送日時 2014-10-31

2014-11-1OA 双葉郡の復興を考える現地視察

番組名:きょうと・人・まち・であいもん

投稿日時 2014-11-01 15:30

出演者情報

伏木道雄 山本晶三 松田容子

音声

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伏木:去る10月24日開催の第五七回建築士会全国大会『ふくしま大会』において、東日本大震災の被災地視察に参加した三人で放送をお送りします。 

山本:私は23日に20名で福島第一原子力発電所の視察に参加しました。まず『Jヴィレッジ』でレクチャーを受け、その後バスの中からのみの構内視察をしました。4号機を至近距離で見ることが出来ましたが、外には出ないため防護服ではなく普通の服のままです。外で見かけた作業員の方の白服とマスクは防塵用で、その他、線量の高いところで作業される方は鉛とタングステンなどで作られた防護服を着用するそうです。4号機の使用済燃料棒を取出すための巨大な鉄骨構造体は、既存建屋の構造に影響を与えないための大型のキャンティレバー構造で、東京タワーとほぼ同じ鋼材量とのこと。

今は廃炉のために毎日六千人の方が作業されています。(これまでの原発定期点検時は二千人)これから30-40年の期間に莫大な費用が掛かります。そして先行きは見えず、日程は流動的です。

松田:私は25日に、京都からのメンバーの衛藤会長・高田先生・中川副会長・伏木さんとともにバス2台で、JR郡山駅→請戸港→福島第一原発→(廃炉作業員のための)給食センター工事現場→除染作業事務所→Jヴィレッジ→JR富岡駅への視察に参加しました。集合場所のJR郡山駅裏には、除染土が当たり前のように積み上げられていました。

福島第一原発エリアは撮影禁止です。これは震災前からの決まりとのこと。汚染地域では、道路はやっと通行出来るようになっていましたが、震災被害を受けた船も車も建物も、当時のまま手つかずであることにたいへんショックを受けました。

帰宅困難地域等の広大な田圃は一面のセイタカワダチ草とススキの原。そして除染作業で集められた大量の汚染土があちこちに見られます。町は除染作業等に従事する人をときたま見かけるだけで、無人です。

伏木:住宅は足場が組まれ順次除染作業が進められています。外壁と屋根の除染は雑巾による手作業です。瓦は除染出来るが、コンクリート瓦は染み込むので除染出来ないとも。道路・一部の田圃・一部の住宅が除染済(汚染表土等の撤去)でしたが、山や木々のエリアは手付かずのままです。私の持参した線量計によると、線量は京都駅から郡山駅まではほとんど変わらず。途中の高速道路上のモニタリングポストの表示は2.7SV、原発構内スクリーニングエリアでのバス内部は京都駅の約3倍、除染作業事務所の敷地や建物内も約3倍でした。

山本:福島原発は敷地が平坦で広く、汚染水を置くスペースが作られています。すぐ近くには東電が建てたサッカー施設『Jヴィレッジ』があり、サッカー場10面にそれぞれ450台の駐車が可能で、とても作業に好都合というのが皮肉です。全外部電源喪失は、富岡町の桜の名所『夜の森公園』の名に因んで構内に建てられた「夜の森受電鉄塔」の基礎地盤が、地震時に抉れて転倒したことが直接の原因とのことです。他の重要作業が優先され、鉄塔は今も倒れたままです。敷地内の除汚の難しい木々は撤去され、土の部分はアスファルトで覆われていました。

伏木:配布資料の平成25年8月実施「浪江町における避難指示解除後の帰還意向」調査では、『戻らない』37.5%、『判断つかない』37.5%、『戻りたい』が18.8%です。

松田:Jヴィレッジでは、案内をして頂いた双葉支部の7名のみなさんと参加者とで意見交換会をしました。「福島のことを忘れず、今日見たこと感じたことを、帰ってから地元の皆さんに伝えてほしい」との言葉が今も心に残ります。

福島では毎日震災関連の記事が新聞に掲載されています。今はインターネットで福島民報や福島民友、河北新報などの地元紙を購読できますので、「決して忘れない」「ずっと関心を持ち続ける」という気持で読み続けたいと思います。今回、現地視察の機会を得て、復興と呼ぶにはまだほど遠い現実を思い知りました。

位置情報

37.447222,141.00555600000007,2014-11-1OA 双葉郡の復興を考える現地視察,,,,18