私は、城陽市寺田で3町歩ほどで米作りをしている百姓です。農民組合の会長をしています。寺田は聖徳太子の時代から米作りをしていました。昔は寺田で農家が1000軒ほどありましたが、今は200から300軒で、跡継ぎがいるのは10軒以内になっています。
私は、父から、支那事変の際に出征して、日本兵が中国人に暴行・強姦して、あげくに井戸に放り投げるなどをしていたという話を聴いています。日本の下級兵士の多くは百姓でした。百姓は田んぼを守らないかんと思います。
戦時中は、ムギご飯・芋ご飯・大根めしで、夜には電灯を黒い布でおおっていました。寺田にアメリカ軍の飛行機が墜落したとき、焼き死んでいた米兵を棒でつついたりしていました。戦争はえげつないものです。
こんな戦争をしないために、農民組合では「3000万人署名」に全力で取組んでいます。
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