私は1974年から京都府立盲学校で教員をしてきました。、今は退職して週10時間の非常勤講師をしています。
戦前の教育では、例えば昭和12年(1937年)の文集に、小学1年生が「支那にいる兵隊さん、たくさんの人を殺してよい人にしてほしい」と作文に書かせるような教育をしていました。。
戦前、目が見えないなど障害をもった人はお国の役に立たないと言われてきました。空襲があれば耳が聞こえないので逃げ遅れることもありました。一方、盲人は耳がいいだろうと、夜間に防空監視所に登らされたりして戦争協力をさせられることもありました。
戦後、平和憲法とともに障害者が教育を受ける権利が実現しました。
ここから本文です。