出演者情報
パーソナリティ) ローバー都市建築事務所
野村正樹
パートナー) 橋本沙抽里
京都の町家の重要な外観デザインの一つとして、「卯建(うだつ)」という、防火壁がある。
これは、火災時の類焼防止を目的とした防護壁であり、建物の両妻側の壁を屋根より上に立ち上げ、
小屋根付の袖壁を載せたスタイルが一般的だ。しかし江戸時代以降、商家が競って豪華な卯建を建てる
ようになったため、装飾的な意味合いを次第に強め、デザインは多様化し、富と権勢のシンボルとなって
いった。よく一人前でない人のことを指して「うだつがあがらない」という言葉を使うが、当時は「卯建」
をあげることが、自立のシンボルであった。それが転じて今日のような用法に変わった。
写真は、「京都堀川の町家」。広い間口と立派な袖卯建が特徴的なこの建物は、徳川五代将軍綱吉の生母
「桂昌院」の実家として有名である。話は、今から約300年前にさかのぼる。堀川通西薮町のあたりに
仁佐衛門という人物がいた。仁佐衛門夫妻は子宝に恵まれず、日頃信仰している、西国二十番札所、大原野
善峯寺の観音様にお参りする。やがて、願いが叶い、生まれたのが玉のような女の子。幼名をお玉と名付け
られた、この京人形のような女の子が後の桂昌院である。
その後、美しく成長したお玉は、江戸へ下り、侍女として江戸城の大奥で働き、三代将軍家光の寵愛を受けて
「徳松」(後の綱吉)の母となる。家光の側室として嫁ぐ日、それは立派な輿にのり江戸へと向かったそうだ。
庶民の娘であった、お玉がのった立派な輿の様子は、現在でも「玉の輿」という言葉に受け継がれている。
桂昌院は晩年、京都の多くの寺院の建立などに尽力し、出身地の氏神である今宮神社にも寄進を行っている。
今宮神社には今もなお、良縁に恵まれ、幸せになれるお守りとして「玉の輿お守り」がある。
「卯建」ひとつに、そんな物語があることを知るのも、京都の新しい魅力を再発見する楽しみの一つである。