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放送日時 2016-02-22

2016-2-26OA 「膏薬辻子と空也上人」

番組名:KYOTO space fountain

投稿日時 2016-02-26 13:15

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「膏薬辻子と空也上人」

写真は、京都市下京区にある「膏薬辻子(こうやくのずし)」。
四条通の新町通 から西洞院間にあり、四条から綾小路通までを走るこの細い道の名称で ある。
一般的に、突き当たりのある袋小路の狭い道を「路地(ろうじ)」、このような 通り抜け型の狭い道を
「辻子(ずし)」あるいは「図子」と呼び 分けているこ とが多い。
この膏薬辻子は、ちょうど中ほどのあたりで、道がジグザグ型の鉤型 に曲がっているため、四条通から
綾小路通が見通せない状 態となっている、少 し変わった辻子である。
そのユニークな街路の形状と京町家が美しく立ち並ぶ美しい風景には以前より 興味を持っていたが、
この「膏薬」という名の由来を、先日知 る機会 に恵まれた。なにか釜座通や両替町のように、膏薬を売る
店舗がその昔、軒を 連ねていた地域であるように考えていたのであるが、聞けば、こ の地域におい て、
踊念仏で知られ、後に西光寺(現在の六波羅蜜寺)を創建した空也上人が平安中期にこの地で道場を構え
念仏修行を始めたのがその 名の由来であるとい うのである。
天慶3年(940)に天慶の乱により戦死した平将門。
その首が京都の町で晒されて 以後、全国で天変地異が相次いだ。そのため、各地で平将門の霊を鎮める
ため、首塚が築かれ、京都においても空也上人が道場の一角に塚を建てて供養をしたそうである。
この塚は現在辻子内にある神田明神であり、以 降、空也供養の 道場とよばれるようになった。
そしてこの空也供養の発音が訛り細い道を意 味する辻子と併せて「膏薬辻子」と呼ばれるようになったの
である。平安時代からある歴史ある辻子。
新しい発見を重ねる度に、京都空間の歴史を身 近に感じたひとときであった。